2015年9月15日火曜日

きょんのカフェブログ 番外編       ~語る意味

7話に入る前に、自分の気持ちなどを整理したく、番外編とします。

第1話から6話まで、ブログでカフェ誕生までを語ってきましたが、
ずーっと目を通して下さってる方も、途中からの方でも、
「6話」に関しては、
全く気持ちが入っていない文(ブログ)であるのがわかるでしょう。
何故なら、その件(セレモニー)に関して、
私は一切記憶が無かったのです。

残っていた画像を見ながら、流れを書き留めただけでした。

記憶が無いのは、
病気のせいか、
少し前の作業中での、頭を打ったことが原因か、
ただの物忘れか不明です。

だから、それをブログにするのも正直迷いました。

カフェブログを続けるかも、迷いました。

これから先の、
グランドオープンからの出来事は、
自分にはあまりに重いものばかりでしたし、
『愚人は過去を語り、賢人は現在を語る』
という、誰かしらの名言が、
頭から離れなくなったのもあります。

7話を書き出した時、
あまりに気持ちが入り込み過ぎて、
思わず顔を上げ、誰かしらに思いの同意を求めようとしましたが、
当時を一緒に過ごしてきた、スタッフ・メンバーが、
ほぼ居ないことに改めて気づき、
ホロッと涙が出てしまいました。

この時正直迷いました。
こんな過去を振り返って、何になるのでしょう?
ブログにしたところで何だっていうんでしょう?
次第に疑問は膨らんでいくばかりでした。

あるスタッフさんに言われました。
「ここでブログ、やめましょうか?」
え?・・・・・・・・ここで、まさかの尻切れトンボになる?
プレ(練習)とはいえ、オープンまでをブログにしたから、
ある意味、完結じゃないか?というのです。

いやいや、本当に大変なのは、伝えていきたかったのは
ここからだったはずです。
確かに良い事よりも、
大変だったことばかりが多かった気もしましたが、
これだけ語っておいて、ここで終われないと思いました。

違うスタッフさんには、こう言われました。
「カフェに戻ってきません?」

実は現在、私はカフェの現場には立っていないのです。

カフェ現場に於いて全ての持ち場をやり遂げ、
思い残すことは無い、というのは表向きの理由で

本当は、
スタッフなどの総入れ替えで、
カフェなどの店は勿論、
施設そのものの体制や考え方のようなものが変化し、
私自身が戸惑ってしまったからでした。

カフェブログを連載するのは、
そんな私への、スタッフさんからの「計らい」なんだろな、と感じました。

更に他のスタッフさんからは、
「ブログ読ませてもらってます。当時を全く知らないんでね、すごい参考になりますよ」
という感想をいただきました。
やはりこのカフェブログは、
歴史を伝承するという意味と同時に
私にとっては気持ちの整理の場でもありました。

いずれにしても、これだけ、いやそれ以上に、
私だけじゃない、
多くのスタッフ・メンバーの想いが詰まったカフェだったということを
現在カフェに立つ人達は勿論、
これからご来店下さる、多くのお客様にも知ってもらいたいと思いました。

メニュー(ランチプレート・ドリンク等)でも、
店頭のディスプレーでも、
当初から、「スタッフ」「メンバー」関係なく、みんなで一緒に考えてきました。
これから先も、そのままであって欲しいです。

ただでさえ、生きにくい世の中。
一般の社会では、病人・障害者は肩身が狭いです。

私は、第1話で話した通り、3児の母です。
4度の妊娠、3度の出産、その後の育児により「うつ病」を発症しました。

私のように、後で病気や障害を持つようになった人、
先天性の人、
原因は様々でしょうが
今、健常者であっても、明日、障害者や病人になったりする可能性が
誰にでも、ないわけではないでしょう。

この施設内だけでなく、
もっと世の中が、
健常者・障害者、関係なく
過ごしやすくなっていけたらと
節に願います。。。


皆様、Boulangerie Cafe Paisibleを今後もよろしくお願い致します。

posted by きょん